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どうして翌日にならないと状況が判明しないのか

 1985年の日本航空123便墜落事故では、翌日にならないと墜落地点は判明しませんでした。4名だけじゃなく墜落時には生存者がもう少しいて、夜の間になんとかできれば、もっとたくさんの人を助けることができたはずです。

 それから25年以上も経過していて、さらに今回は地震発生が午後3時前、まだ日没までには約3時間あったはずです。地震直後出動した自衛隊のヘリからの仙台沖の津波の映像のみです。明るいうちに、被害状況を上空から把握することはできたのではないかと思います。

 電話等の通信インフラが全滅した状態では、上空からの被害状況の把握して無線により連絡することしかできかったわけです。緊急対策本部を立ち上げても、まず状況の把握が出来なかったので結局その日の夜は、気仙沼の街が燃える映像がテレビから流れるだけでした。

 夜活動できる全天候のヘリはないのでしょうか?


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